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 FIAT 850 Spider 1996年10月27日
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 非常にありがたいことに、このページの読者の方に寄稿をいただきました。 静岡にお住まいの124 Spider乗り、(実は他のクルマに乗り換えていますが、本人の希望によりこのままにしておきます・Inagaki注) 沼倉さんの寄稿です。

★貴殿のページにて、自動車についての偏愛的なエピソードを募っておられるとの由、我が身にもいささかの、忘れ難く、鮮烈な思い出があります。お読み飛ばしいただければ。


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 これが850 Spiderです。こいつは、ベルトーネデザインのボディ、817cc(後に907ccに)のエンジンを持って1967年に登場しました。大きさは、ちょうどホンダS800位でしょうか。先に登場した、FIAT Barchettaのデザインソースになったことでも知られています。
 寄稿していただいて嬉しい限りです。それでは、どうぞ。

 私は、伊豆半島の伊東という、小さな港町に育ちました。30年くらい前の伊東というと、そう、戦前の芦屋のような、また、いまのように騒々しくなる前の葉山のような感じのところをお考えください。なにせ田舎ですから、時の経つのもゆるゆるとして、浜の漁村に隣接して、松林と、海水浴場と、なにかいわくありげな、えらい人の別邸や、こわいような重厚なつくりの旅館が散在していて、洋館を英語塾にしている奥さんとか、道楽で保育園なんかをやっている旦那様や、冬になると避寒?に、港を訪れるイルカなんかが、まだ、いた頃の話です。

 そのころ、私は、ランドセル背負った小学生でした。とある日、私の通う小学校の通学路に、いつしか、見慣れない、小さくて、それでいてとてつもなく衝撃的なスタイルのスポーツカーが停まるようになったのです。車高が小学生の私の肩くらいしかなくて、(小学生ですから、そのころ一般的なコロナやブルーバードは、見上げるくらいの車高がありました。見おろすぐらい低いクルマは初めて見たのです)クリーム色のそのクルマ。愛嬌たっぷりの目鼻立ちのくせに、テールはすっぱりと絶ち切ったようなイナセな後ろ姿に、熱気抜きのルーバーが切られていて、赤いエンブレムが。

 "Fiat 850 Spider"
 ”フィア・850・スピディゥル??”
 アルファベ(注・フランス語)は、叔母に教わっていたので、なんとなく読めました。後で思うと、フランス語じゃなかったんですが。

 さらに驚いたことに、目を丸くして見回す私に、その車に乗込むべく近づいてきたオーナーは、20代なかばと見える、訳あり風の女性だったのです。
 なにか、投げつけるような鋭い微笑を私に向けて、するりとそのクルマに乗込み、思ったよりずっと可愛らしい音のエンジンを吹かして、消えて行きました。
 でも、それからも、狭い町ですから、ときおり天気のよい、涼しい日には幌を開け放って、サングラスをかけ、黒いノースリーブのシャツかなんかで、町を流す姿をよく目にしました。これはショックでした。トヨタスポーツ800とか、そんなスポーツカーは知ってましたけど、それって、ホントに、体育会系のクルマって感じがしてましたから。今で言うと、AE86のような。”スポーツ”とつくものは、私の嫌いな、汗くさい、大声で叫ぶ、根性や気合の産物のような気がして、正直疎ましくさえ思っていたのです。
 それとは違う”ヨーロッパのスポーティー”が子供の私を当惑させたのです。


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 さて、そのFiat 850 Spiderは、ある日から、現れたときのように突然に、いなくなりました。”どうしたんだろうなぁ”と思っていたのもつかの間、子供のことですから、好奇心を引くものは限りがありません。ほどなく忘れてしまい、そのことを思い出したのは20年近くもたって、自分がクルマを買換えようと思いつき、雑誌やカタログを眺めていたときでした。
 一度思い出してしまえば、それはもう、ありありと目に浮びます。帰郷した折に、もの知りの近所のおじいさんに聞くと、オーナーは、どこかのおえらいさんの愛人かなにかで、関係がうまくいかなくなったのか、ふいと町からいなくなったとのことです。私が中年にさしかかった今でも忘れられません。あの、気の強そうなオンナは、きっと、町から出ていった日も、やっぱり幌をあけ放って、たとえやせ我慢でも颯爽と走り去ったんでしょうね。夕暮の海岸道路を飛ばして、どこかほかの町へゆく彼女のサングラスの下から、なにか光るものがあっても、それはきっと風と一緒に後ろへ飛んでいったのでしょう。あれこれ思い悩むのは、あのクルマに乗るオンナには似合わない。