月別アーカイブ: 1996年10月

FIAT 850 Spider


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 非常にありがたいことに、このページの読者の方に寄稿をいただきました。
静岡にお住まいの124 Spider乗り、(実は他のクルマに乗り換えていますが、本人の希望によりこのままにしておきます・Inagaki注)
沼倉さんの寄稿です。


★貴殿のページにて、自動車についての偏愛的なエピソードを募っておられるとの由、我が身にもいささかの、忘れ難く、鮮烈な思い出があります。お読み飛ばしいただければ。









Copyright “Lisa Carr’s Small Car Home Page”



 これが850 Spiderです。こいつは、ベルトーネデザインのボディ、817cc(後に907ccに)のエンジンを持って1967年に登場しました。大きさは、ちょうどホンダS800位でしょうか。先に登場した、FIAT Barchettaのデザインソースになったことでも知られています。
 寄稿していただいて嬉しい限りです。それでは、どうぞ。

 私は、伊豆半島の伊東という、小さな港町に育ちました。30年くらい前の伊東というと、そう、戦前の芦屋のような、また、いまのように騒々しくなる前の葉山のような感じのところをお考えください。なにせ田舎ですから、時の経つのもゆるゆるとして、浜の漁村に隣接して、松林と、海水浴場と、なにかいわくありげな、えらい人の別邸や、こわいような重厚なつくりの旅館が散在していて、洋館を英語塾にしている奥さんとか、道楽で保育園なんかをやっている旦那様や、冬になると避寒?に、港を訪れるイルカなんかが、まだ、いた頃の話です。

 そのころ、私は、ランドセル背負った小学生でした。とある日、私の通う小学校の通学路に、いつしか、見慣れない、小さくて、それでいてとてつもなく衝撃的なスタイルのスポーツカーが停まるようになったのです。車高が小学生の私の肩くらいしかなくて、(小学生ですから、そのころ一般的なコロナやブルーバードは、見上げるくらいの車高がありました。見おろすぐらい低いクルマは初めて見たのです)クリーム色のそのクルマ。愛嬌たっぷりの目鼻立ちのくせに、テールはすっぱりと絶ち切ったようなイナセな後ろ姿に、熱気抜きのルーバーが切られていて、赤いエンブレムが。

 ”Fiat 850 Spider”
 ”フィア・850・スピディゥル??”
 アルファベ(注・フランス語)は、叔母に教わっていたので、なんとなく読めました。後で思うと、フランス語じゃなかったんですが。

 さらに驚いたことに、目を丸くして見回す私に、その車に乗込むべく近づいてきたオーナーは、20代なかばと見える、訳あり風の女性だったのです。
 なにか、投げつけるような鋭い微笑を私に向けて、するりとそのクルマに乗込み、思ったよりずっと可愛らしい音のエンジンを吹かして、消えて行きました。
 でも、それからも、狭い町ですから、ときおり天気のよい、涼しい日には幌を開け放って、サングラスをかけ、黒いノースリーブのシャツかなんかで、町を流す姿をよく目にしました。これはショックでした。トヨタスポーツ800とか、そんなスポーツカーは知ってましたけど、それって、ホントに、体育会系のクルマって感じがしてましたから。今で言うと、AE86のような。”スポーツ”とつくものは、私の嫌いな、汗くさい、大声で叫ぶ、根性や気合の産物のような気がして、正直疎ましくさえ思っていたのです。
 それとは違う”ヨーロッパのスポーティー”が子供の私を当惑させたのです。







Copyright “Lisa Carr’s Small Car Home Page”



 さて、そのFiat 850 Spiderは、ある日から、現れたときのように突然に、いなくなりました。”どうしたんだろうなぁ”と思っていたのもつかの間、子供のことですから、好奇心を引くものは限りがありません。ほどなく忘れてしまい、そのことを思い出したのは20年近くもたって、自分がクルマを買換えようと思いつき、雑誌やカタログを眺めていたときでした。
 一度思い出してしまえば、それはもう、ありありと目に浮びます。帰郷した折に、もの知りの近所のおじいさんに聞くと、オーナーは、どこかのおえらいさんの愛人かなにかで、関係がうまくいかなくなったのか、ふいと町からいなくなったとのことです。私が中年にさしかかった今でも忘れられません。あの、気の強そうなオンナは、きっと、町から出ていった日も、やっぱり幌をあけ放って、たとえやせ我慢でも颯爽と走り去ったんでしょうね。夕暮の海岸道路を飛ばして、どこかほかの町へゆく彼女のサングラスの下から、なにか光るものがあっても、それはきっと風と一緒に後ろへ飛んでいったのでしょう。あれこれ思い悩むのは、あのクルマに乗るオンナには似合わない。

魅力的な小型車・PUNTO

(1997年02月15日 訂正)

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 FIAT PUNTOは、UNOの後継として1994年に発表されました。UNOの後継ですからってわけではないですけど、エンジンは1.1Lから最大でも1.6Lです。ついこの間に日本で正規輸入がはじまった、VW POLOとは真っ向にぶつかる車です。我が日本にも正規輸入で入ってきました!



・これがFIAT PUNTOです。
 こいつが3ドア版で・


  PUNTO GT

Picture Copyright “The Fiat Page” http://www.mirafiori.com/





 先代、UNOは、日本でこそそれほど売れなかったものの、累計700万台も売れたそうです。その跡継ぎであるこのPUNTOもまた、売れまくる「使命」を与えられてこの世に生まれました・実際、欧州における「小型車指向」にも乗ったのでしょうか。発表と同時に大爆発、1995年の欧州カー・オブ・ザ・イヤーを獲得し、売れに売れまくっているそうです。こいつの魅力は大きくは2つあって、ひとつにはスタイル、もうひとつは信頼性の大幅な向上があります.


これが5ドア(なかなかかっこいい)・


  PUNTO (5dr.)


Picture Copyright “Fiat.com”

http://www.fiat.com/





 スタイルといえば、先代のUNOに比べてどうでしょう。この「新しい」スタイル。1980年代の実用車のスタイルというのは、VW GOLFを基とする、キャビンを大きく、背を高く、四角く造形してというのを形で表す「機能を具体的に表現する」というものだったと思います。実際にUNOやTipo、そして現行型のCinquechentoあたりまで、FIAT車もそうだったのですが、このPUNTOからはそれまでとは異なり、単に機能を具体化しただけでなく、その上でデザイン的な「遊び」を表現するという、「新しく」見えるスタイルのボディをもって登場したのです。また、こいつのスタイルにはこんなエピソードがあります。こいつのリアランプはリア・ウィンドウのわきに縦長にピラーに埋め込む格好で配置されています。


カブリオレ(かわいいでしょう(*^^*))です。




  PUNTO Cabrio


Picture Copyright “Fiat.com”

http://www.fiat.com/





ところが、開発当初はリア・ウィンドウの下、両側にちょこんと収まるタイプだったそうですが、(カブリオレのように)開発まっただ中にFIATの社長に就任した、パオロ・カンタレッラ氏の鶴の一声で今のような形になったそうです。このエピソード・みなさんどうお感じですか?現場に口を出すでしゃばり社長とか言われそうですね。日本では。(こういう振る舞いが許されたのは、故・本田宗一郎氏だけのような気がします)でも、私はそうは思わないんですね。このスタイルにGOを出したのは、「売れ筋の車を造る能力に満ちた」FIATのスタッフたちのはずです。逆にそういうスタッフたちを唸らせ、デザインを変えさせた氏の能力に敬意をはらいたいと・皆さんはどうお考えですか?

 あと、信頼性ですけど・イタ車のガレージ某の店員さん曰く「お客さん、Tipoまでの(FIAT車の)お客さんにはホントに悪いんだけど、PUNTOは(PUNTO以降は)本当に壊れない」・そうです。嬉しいんやら、悲しいやらTipo乗りの私としてはちょっと複雑な気持ちですけど、「イタ車のお約束はまず故障」というのは徐々に挽回されてきているようです。ちなみに、この「壊れなくなった」という評判はヨーロッパでも同じようで、今まで頻繁な故障が恐くて手が出なかった層にもなかなか人気を得てきているというのが、売れている理由になっているのでしょう。

 正規輸入のPUNTOは、カブリオレと、5ドアモデルの2種類です。共に1.2L、60psのエンジンで、CVT搭載の「セレクタ」です。個人的には、5ドアのMTを入れて欲しいのですが、今のところは難しいところでしょうね・

 しかし・ずいぶんと「飛んだ」格好にも見えますが、彼地、ヨーロッパの街には以外となじんでいるようです。はたして、日本の街には合わないのでしょうかね・私は非常に魅力的な車だと思うのですが・5ドアMTは正規輸入されないかなぁ。(個人的希望)

Tipoご紹介

(1997年03月01日 訂正)

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 私、InagakiはFIAT Tipoという車に乗っております。こいつに乗りはじめてから、
それまで以上にFIATについて興味を持ちました。
 まずは、Tipoのご紹介から。



FIAT Tipo DGT (1.6L model)

うちのTipoです。

横浜某所にて・




Copyright Inagaki,Shiro



 FIAT Tipo は、1988年にまず5ドア版が発表されました。欧州カー・オブ・ザ・イヤーを獲得し、翌1989年に当時のディーラ、サミットモータースによってまずは1.6Lエンジンを搭載したDGTが日本に輸入されました。ところが、当時FIATには、排ガス規制対応でこのサイズの比較的新しいエンジンの手持ちがなかったためにかなり古いものを搭載したらしく、結果としてこの車の評判を落としたようです。また、本国でも発表後のバリエーションの開発が遅れ、期待されていた2L、16ヴァルブのエンジン(ランチア・デルタ・インテグラーレに搭載されていたものからターボを除いたもの)搭載モデルや、日本国内では必要とされるAT版の登場は遅れに遅れ、サミットモータースがなくなったとき、現在のディーラでもあるフィアット・アンド・アルファロメオ・モータース・ジャパン(1997年1月にフィアット・オート・ジャパンに社名変更)に引き継がれるまでに時間がかかったのも拍車をかけ、エンジンの古さによる評判の低下どころか、FIAT車全体が日本のマーケットから忘れかけられるという事態になり、せっかくのATモデル、「GT」やホットハッチ、「SEDICIVALVOLE(セディチヴァルヴォレ・16Vの意)」が登場しても売れ行きは芳しくなく、やがて95年初頭、後継である「ブラーヴァ」、「ブラーヴォ」の登場を待たずして、残念ながらカタログから落ちてしまいました。



FIAT Tipo 3door model


・とうとう日本に入らなかった3ドア版です。実車を一度見てみたいものです。



Copyright “The Fiat-Tipo Pages”





やはり「イタ車=壊れる」というイメージは根強いものがありますし、(実際、とんでもないところが壊れたりするのですが(笑))この評判を打破するためにはやはりしっかりとしたディーラによるサポートがないとダメなのでしょう。また、こいつの4ドアセダン版の「テムプラ」も入りましたが、こいつもめったに見かけないし、本国で93年に発表された3ドア版は「輸入」の「ゆ」の字もありませんでした。

 こいつがどのクラスかというと、輸入車では、VW・ゴルフ、オペル・アストラ、ルノー19、シトロエンZXの、国産車ではちょうどカローラ、サニーなどのクラス(いわゆるCセグメント)になります。4m弱×1.7mの手頃なサイズのボディはIDEAによるデザインも秀逸です。ちなみに、ヨーロッパではこれらのライバルと対等に渡り合い、結構な数が売れたようですが・




FIAT Tipo 2.0 i.e. “SEDICIVALVOLE”

・これが”SEDICIVALVOLE”、2Lの16V版ですね。



Copyright “the FIAT Image Gallery.”




 ちなみに私のDGTはディーラがフィアット・アンド・アルファロメオ・モータース・ジャパンに変わってからしばらく、1992年まで輸入されたようです。カタログには1993年まであったようです。ちなみに、私のは1992年型です。7月に輸入されて11月に売られたもののようです。しかし、輸入されてから4~5カ月も在庫されていたとは(笑)